愛知県の高校比較 失敗しない受験校選びのために(その2) (2010.9.24.)更新
では、もう一度グラフを見てみましょう。
千種高校と中村高校の落ち込みが目立ちます。その一方で名古屋市外の公立伝統高、たとえば一宮高校,岡崎高校,時習館高校の伸びが目立ちます。
ここで、愛知県の学校群制度を振り返ってみましょう。1973年(昭和48年)に、名古屋、豊橋、一宮、岡崎、刈谷各地区の公立高校(普通科)入試で採用されたのが学校群制度です。名古屋市では、県立・市立の15高校がそれぞれ2つの学校群に属して名古屋1群から名古屋15群の複合学校群をつくりました。豊橋市は4校で2つの学校群、一宮・岡崎・刈谷では2校で1つの学校群の単純学校群を採用しました。まとめると次の表になります。
愛知県学校群(1973年〜1988年実施)
名古屋市
名古屋1群 菊里 千種
名古屋6群 中村 明和
名古屋11群 瑞陵 桜台
名古屋2群 千種 旭丘
名古屋7群 明和 松蔭
名古屋12群 桜台 緑
名古屋3群 旭丘 北
名古屋8群 松蔭 惟信
名古屋13群 緑 昭和
名古屋4群 北 名西
名古屋9群 惟信 熱田
名古屋14群 昭和 向陽
名古屋5群 名西 中村
名古屋10群 熱田 瑞陵
名古屋15群 向陽 菊里
(名西=名古屋西)
豊橋市
豊橋1群 時習館 豊橋南
豊橋2群 豊橋東 豊丘
一宮市
一宮学校群 一宮 一宮西
岡崎市
岡崎学校群 岡崎 岡崎北
刈谷市
刈谷学校群 刈谷 刈谷北
学校群制度では、受験生は学校群を1つ選んで受験します。たとえば名古屋1群を受験するとしましょう。合格すると、 「菊里高校または千種高校に合格」となります。つまり、「合格しでも、どちらの高校になるかは分からない」というのが学校群制度の特徴なのです。
例えば千種高校に注目してみましょう。千種高校は名古屋1群と2群で、それぞれ伝統校の菊里高校・旭丘高校と群を組んでいます。その結果、学力最上位層の多くが名古屋1群と2群を志望して千種高校に学力最上位層が集中する結果となりました。また、トップ校であった旭丘高校は、2群と3群で千種・北と群を組んだので、旭丘高校志望者は伝統校でない北高校に入学する可能性のある3群を避けて2群に集中しました。このことも、千種高校に学力最上位層が集中するのを後押ししたのです。同様のことが中村高校でも起こりました。伝統校である名古屋西高校や明和高校と学校群を組んだので学力最上位層が集まり、中村高校はトップクラスの進学校となりました。その一方で、群の組み合わせの関係で、伝統校の瑞陵高校などで進学実績が大きく低下しました。
・学校群制度から複合選抜制度へ
1989年から、愛知県の公立高校入試は複合選抜制度へ移行しました。2校を組み合わせて受験するところは(1校受験も可能ですが)学校群制度と似ていますが、受験時に第一志望と第二志望を決めるので、学校群制度のように「合格してもどちらの高校になるかは分からない」なんてことはありません。しかし、2校の組み合わせに制限があり、また、難易度と通学のことを考えると実質的な組み合わせは多くなく、組み合わせは固定化する傾向にあるようです。それによって、学校群時代とは受験生の動きが変わって、公立高校の難易度に変化がみられるのです。
このことに注意して、もう一度グラフを見てみましょう。名古屋市外の公立高校に注目してください。例えば、時習館高校と豊橋南高校は学校群時代に豊橋1群を組んでいました。ところが、複合選抜ではこの組み合わせを選択できなくなり、その結果、東三河地区の学力最上位層は時習館高校に集中することになりました。学校群時代の両校の名大合格者数の合計と複合選抜になってからの合計がほぼ同じであることがこれを証明しているのです。同様のことが西三河でも起こったと考えられます。岡崎学校群を作っていた岡崎高校と岡崎北高校を複合選抜では選択できなくなり、西三河の学力最上位層は岡崎高校に流れたようです。やはり、両校の名大合格者数の合計は複合選抜前後でほぼ同じなのです。
つまり、高校ごとの最難関大学の合格者数とは、本質的には、高校の「進学指導力」ではなくて、ただ単に学力最上位層の動きによって決まるのではないかと考えられるのです。