徒然日記その48. 英語騒ぎ--国際感覚とは?(6/12)

 その44で、英語騒ぎ(英会話ブーム)に対する否定的な意見を書いてみた。今回は、もう少しつっこんで書いてみたい。ある大学の英語の入試問題(長文問題)に、次のような論旨の文章が載っていた。共感する部分が多いので要約して訳してみる。

 外国語を話せることが国際感覚ある人間の基準と思われることが多いが、そんなことは真実ではない。筆者は、海外で暮らしていて何カ国語も話せるけれど自分と違う人々を見下し続ける人間を何人も見てきたのである。物事を客観的に見ることを拒み、人種的優越感を抱いている人間たちである。いくら外国語を話せても、ものの考え方が狭量で型にはまった人間たちのことである。こういう人間のことを国際感覚ある人間とはとても呼べないのだ。

 国際感覚ある人間とは、心の状態がすぐれていることだと信じている。すなわち、外国の人々や文化に対して積極的な態度をもち、外国の人々と同じ感情--愛や幸せや悲しみなど--をもてる心を有することである。習慣や肌の色や言葉の違いなどの多様性を心地よく感じて、暮らしを豊かにしてくれるものとして捉えられること。これこそが国際感覚である。

 多様な価値観を認めてそれとつき合う方法を模索できることが重要なのだ。アメリカ人は人なつっこいとか、イギリス人は紳士だとか、日本人は礼儀正しいとか、型にはまった考えをそのまま信じ込まないことである。

まったく同感である。ただ英会話が出来るようになって優越感をもっているだけでは国際社会で活躍などできないと思うのだ。いっそTOEICに教養試験も加えてみてはどうだろう。

 


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