徒然日記その51. 最近の小学校--退行する学習環境(7/3)
今回は、義務教育の学習"環境"について(学習"内容"ではありません)。年々、教科書の内容は薄っぺらになっている。これは、文部省が「ゆとり」とかなんとか言ってるせいなのだが、問題はこればかりじゃない。
子供の学力低下が甚だしい。とくに小学生の学力低下はひどいものだ。四則演算がきちんとできないまま中学校にあがる子供がずいぶんいる。漢字の読み書きについても同様。これは教科書の内容とは関係ない問題だ。教える側の問題なのである。つまりきちんと教えないのだ。こういうケースには2パターンあるように思う。まずはきちんと「教えられない」ケース。学級崩壊がこれにあてはまる。もう一つはきちんと「教えない」ケースである。「手抜き」なのである。できなくても「OK」なのだ。昔は放課後残してでも教えてくれたものだが、今は多くの教師はそういうことはしないらしい。したらしたで、「出る杭は打たれる」場合もある。つまり、やりたくても「できない」場合も多いのだ。熱心な学習指導をしてくれる教師がいると他の教師はやりにくくなるからである。つまり手を抜きにくくなる。教材研究に割く時間も減ったし、情報交換する機械もめっきり少なくなった。なんだか後ろ向きな世界だと思いませんか?
「ゆとり」という言葉が、教える側の手抜きの免罪符になっているのである。こういう教師は、出来ない生徒の親に平気で「塾に通わせて下さい」と言い放つらしい。職務放棄というかプライドがないというか情けない限りであるが、そういう教師は多いらしい。教科書を改訂する前に教師の採用基準を改定してほしいのもだ。
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