徒然日記その105. 学力崩壊!その4.教師だって学力崩壊? (7/9) 

 先日の新聞記事を見て「納得」である。国立大学の"教員養成系"大学生に「算数(数学ではなくて小学校の「算数」である!)」の問題をやらせたら全然できなかったのである。

  (問い)0.08平方キロメートルを平方メートルに直せ

では、実に6割が不正解だそうだ。こんなもの小学校6年生で習うことである。また

  (問い)ルート49を簡単にせよ

これも3割ができない。これは中学3年生の数学で習うことである。

 さて、私が「納得」したのはこういうことだ。世間では、最近の子供たちの学力低下の一因に教師の力量不足・・・学力不足ともいえるか・・・を挙げる場合が多い。しかし私は今まで、このことには疑問を持っていたのである。なぜなら、教員採用試験は(採用人数が極端に少ないこともあって)大変な競争率なのである。だから、少なくとも教員採用試験に合格する者は学力は低いどころか極端に高いのではないか?学力が問題になるような教師は、団塊の世代のいわゆる「でもしか先生(先生に「でも」なるか、先生に「しか」なれない)」ではないかと考えていたのである。しかし今回の新聞記事を見て、自分の考えが間違っていたことがわかり、さらには「教師の学力は極端に低い」ことを確信したのである。

 だいたいメートル法すら使いこなせない者が人にものを教えることができるのか?国語の教師だから数学(算数)ができなくても構わないなんて私は断じて認めはしない。ここで注目してほしいことは、「低学力の国立大学生たち」も大学受験で数学を受験している事実である。国立大学であるから、ほとんどの者はセンター試験で数学(I・AとII・B)を受験して、「合格点」を取っているはずなのだ。

 この事実が、今の日本の低学力化の原因を端的に物語っていると思う。説明しよう。つまり学生たちは「その場しのぎ」の勉強しかしていないのだ。使わなくなったらきれいさっぱり忘れてしまう。しかもそれで全然困らない。これが日本の現状なのだ。大変薄っぺらな人間が多いということでもある。最近の子供たちは、よく「こんなこと勉強したって大人になってから使わないから困らないんじゃない?」と聞いてくる。こういう質問に胸を張って答えられる教師はどれほどいるのだろうか。習ったことを単に知識とするだけでなく教養に昇華して実生活や仕事での「発想や工夫」に役立てられることが「生きる力」なのではないかと思う。数学も理科も国語も社会も英語も、実技教科だってそうである。テストで点数をとったらもうおしまいで、あとは忘れるだけ。なんと薄っぺらな勉強であろうか。

 最近の新入社員はマニュアルがないと何もできないし、自分から考えて行動しないと言われるが、なるほど、こういう勉強をしてきたのだから無理もない。最近の教師だって同じことのようである。ただ、サラリーマンと違って教師は「再教育」されない。これが怖い。会社員ならば、社内教育でたたきなおされる機会もあるし使い物にならなければリストラもされるだろう。しかし教師の場合は、新卒で採用されてもいきなり「先生」だし、一度採用されたらクビなんてよほどのことがない限りあり得ないのである。これではスキルアップもリハビリテーションも望めない。そんなやつらが教壇に立ち、それに教わった者がまた教師になる。「たわけ」の拡大再生産である。気分はもうデフレスパイラル。あーあ、いつからこうなってしまったのか。

 


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