徒然日記その145. 個性の尊重??? (6/24)

 こどもたちの「個性を尊重」して「ゆとり教育」を目指します。旧・文部省(現在の文部科学省)がたびたび繰り返してきたセリフである。なるほど耳触りの良い言葉だ。ところで、個性は尊重すべきなんだろうか。ここに大きな落とし穴が潜んでいるように思うのだ。

 確かに子供の可能性は無限大である。この先どう伸びるかどう化けるか予想もできない(良い意味でね)。だから伸びることや化けることを阻害するようなことをしてはいけないと思う。だから子供の個性を奪うようなことをしてはいけないのである。

 ここまで読んで「なるほど、その通りだ」と思った方は、危険である。とってもね。そもそも子供の個性とはどんなものだろうか。走るのが速い、絵が上手い、ピアノをひける、泳ぎが達者、・・・。なるほど、良い個性である。是非伸ばしてやりたい個性だ。「勉強が全て」なんて言ってないで、こういう個性が伸びる環境においてあげたいものである。一方、こういう個性もある。弱い者に乱暴する、授業中ふらふら歩き回る、徹夜でテレビゲームをする、宿題をしない、・・・。これも個性なのである。つまり「悪い個性」だ。こんな個性を尊重していいのだろうか。いや、出来るだけ早いうちにこういう個性の芽はつみ取るべきだろう。

 ところが実際には、「個性の尊重」のお題目のもと、こういう悪い個性まで尊重しなきゃいけない雰囲気なのである。良い個性をかばって悪い個性を諫めようものなら、「えこひいきだ!」の大合唱である。困ったものだ。そもそも日本人は、「個性」を理解できないんじゃないか、と思う(これについては、以前に書いた)。

 私が言いたいのは、悪い個性の方が良い個性よりも多いということ。だからなんでもかんでも「尊重」などしてはいけないと思うのだ。「ぐだぐた言ってないで、こうしろ!」と言って良い場面が多々あると思うのだが。


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