徒然日記その63. 守られない信号(9/25)

 

 最近、町中を車で走っていてよく遭遇するのが信号無視である。自転車、歩行者、みんな信号を守らない。しかも堂々としている。悪いことをしているという意識がまるで無いようである。まるで「自分の責任でやってるんだから人には迷惑かけてないでしょ」とでもいう感じだ。これでははねた方が被害者である。これも現代の風潮というものか。

 この「自分の責任でやってるんだから」というのにも引っかかる。こんなものは個人主義でもなんでも無いのであるが、欧米流の個人主義をはき違えている日本人が増えたのではなかろうか。すぐに「個性の尊重」だとか「権利」だとかをぎゃあぎゃあ言うアレである。好き勝手なことをするのは「個性」ではない。学校でそんなことをしていたら集団生活が成り立たない。つまり好き勝手を野放しにしていたら社会性が育たないのだ。「権利」だってそうである。「権利」を主張するには必ず「義務」を伴う。当然である。ところが「権利」ばかりを教えて「義務」の大切さをおろそかにしてはいまいか。こういうことの積み重ねが現代日本社会の乱れを生み出したのだと思う。

 日本の社会も大きく変わった。従来の儒教的精神---礼節とか徳とか恥とか---が失われ、中途半端に欧米的になったのである。ベネディクトが「菊と刀」で欧米を「罪の文化」,日本を「恥の文化」と分けたのはあまりに有名であるが、現代日本人の多くは「罪」も「恥」も感じなくなっているように思える。このままでは無政府状態になってしまう。一部の小学校や中学校ではすでにある意味無政府状態なのである。

 


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