子育て日記 その1  2004.11.15.


昨年の今頃のこと。二人の小学校6年生の子供が殺された。その前の週は、2歳の子が熱湯をかぶって死んだ。愛人である高校生のオニイチャンが、自分の子供をセッカン死させた。2歳の子が、餓死したというのも聞いた。

・・・一つまみの時間の中で、報道で知るだけでも多くの子供が死んだ。

明日を夢見て、一歩外へ出さえすれば、友達と笑顔で走り回っていただろう子供たちが、疲れ果てた顔をして死んでいった。

大人が何も達成できないであろう5年10年という時間で、彼らは驚くほど成長し、日本や我々の生活を背負ってくれる「人」となるだなんて考えは、少なくとも有事の刹那に思えないのだろう。バカタレたちには。

そうやって、死ななくて良いのに死んでいった多くの才能をとても残念に思う。アイシュタインだったかもしれない、イチローだったかもしれない、ピカソだったかもしれない・・・。明日には、人々の心を沸き立ててくれる人だったかもしれない、足元がおぼつかない自分に手を携えて、電車のイスに座らせてくれたかも知れない。300円でうまい弁当を作ってくれたかもしれない。

ウチの町では、4年生の女の子が行方不明になって3年がたつ。学校やスーパーには、彼女の笑顔のビラが風に揺れている。ウチの学区では、ここ半年間に10件以上の異常者の報告がある。子供を呼び止めて、陰部を見せる変質者。道を尋ねて車に乗せようとする誘拐犯(もどき)・・・。日本中のどこにでもあるんだろう。

教育の前に、まず、子供を守りたい。守るべきだと思う。でないと、教育もへったくれもなくなる。大人は、子供を見てほしいと思う。せめて、できることから、取るに足らない用事に行く時に、あんな子がこんな所で遊んでいる。少なくとも地域、コミュニティの中で、子供を気にして欲しい。できれば、車で通りかかるときに手を振って欲しい。「オゥ」「ゲンキか」声をかけて欲しい。 

一声かければ、変なオジサンでなくなって、子供は心を開く。子供の駆け込み寺を作って欲しい。それは、場所じゃなくて人でいい。変な泣き声に耳を傾けてほしい。とにかく、地域で子供を守りたいと思う。

 


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