徒然日記その103. 学力崩壊!三竦み状態? (6/25)

 「三竦み(さんすくみ)」・・・[ヘビはナメクジを、ナメクジはカエルを、カエルはヘビを恐れることから] 3つのものが互いに敵をおさえあうこと。(三省堂.新明解国語辞典第二版より)

 いきなり何のことかというと、この「三竦み(さんすくみ)」は今の多くの中学校にもあてはまるということ。これは経験に基づく私の持論である。ヘビ・ナメクジ・カエルを、教師・保護者・生徒に置き換えてみるとよい。互いに信頼関係もないし、牽制し合うだけの関係ということだ。教師と生徒は内申書を介して牽制し合い、保護者と生徒(子供)の間には愛情がなくなって単に物質的・経済的につながって牽制し合っているだけのように見える。保護者と教師の関係だってそうだ。尊敬だとか信頼だとかは一体どこへ行ってしまったのだろうか。家で保護者が口にするのは教師の批判(というより悪口か---もっと次元が低い)。こんな状態では学校そのものが機能しなくなるのも当然である。

 学校が崩壊すれば、そりゃ学力だって崩壊する。つまり、制度を整えたからと言っても、それを実行する学校が機能しないことには何にもならないのである。つまり、我が国の学力崩壊はツーステップで進行しているのだ。第1段階が、さんざん批判されている文部科学省の「ゆとりの教育」路線。まず制度がトンチンカンなのである。そして第2段階が「学校の機能低下=学級崩壊(学校崩壊)」なのである。

 ここで強調しておきたいことは、子供たちの学力低下が学級崩壊をさらにすすめるということである。よく言われることであるが、知識が無くては知恵もつかないし、学力の低い子供は基本的な生活習慣ができていない(基本的な生活習慣が無茶苦茶だから学力がつかないとも言えるが)。つまり、このまま履修内容が削減されて子供たちの学力が低下すれば、ますます生活も荒れて学校も荒れるし、生活が荒れることでますます学力がつかなくなるのだ。ごく近い将来、5分も座っていられない高校生とか日本語で会話できない中学生がそこらじゅうにうようよいるかも知れない(今でもいるか)。

 電車の床に座り込み、タバコをふかして騒いでいる通学途中の高校生のことをテレビニュースでやっていた。彼らにはすでに公共心などないようである。目に余るので、車内で警察が補導・取り締まりを実施してようやくマトモになったそうである。しかし彼らへのインタビューでは「捕まるからここでは吸わない」「うざいけどやめた」である。こういう人間が増えてくると社会はどうなるか。そのうちスラム街が出現するだろうし、地下鉄には拳銃携帯の制服警官が乗り込むようになるんだろう。そうなったら、私は山に籠もって猿にでも授業をしようと思うが。


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