徒然日記その190. 学問のすゝめ (7/28)

 皆さんは福沢諭吉をご存じだろう。一万円札の人である。中学校の歴史の教科書にも出てくるのだから知っていて当然か。では、この福沢諭吉翁がなぜ教科書に出てくるのだろうか。この質問に「正確に」答えられる中学生や高校生は思いの外少ないと思う。「『学問のすゝめ』を著したから」では△である。『学問のすゝめ』がなぜ教科書で取り上げられているのかを説明できなくてはいけないと思う。『天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずといへり』という有名な書き出しは何を述べようとしているのか。どうも社会科の時間にはこの部分をないがしろにして個人の平等とか個人の自由ばかりが強調されていると思えてならないのだ。

 どういうことかを説明しよう。原文を一部引用してみる。

『人は生まれながらにして貴賎貧富の別なし。ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるなり。』

つまり、こういう意味だ。「人間というものは、生まれたときから身分の上下や貧富の差はないのである。ただし、そのためには学問を修める必要がある。学問を修めて物事をよく知っている人は身分も上となって豊かになり、無学な人は貧しくなるし身分も低くなってしまうのである。」

 前半部分はよく教えられているようだけど後半部分の「学問を修めて・・・」の部分はきちんと教えられているんですかね。国民の教育レベルの高いことが民主主義社会を維持するための必須条件なのだけど。「こんな勉強なんの役に立つのー?」「こんなこと覚えたって何に使うのー」という質問に対する答えがこれだと思う。いつまでもこういう質問をする子供が減らないのは近代国家としての日本が危険な状態にあるってことだと思うぞ。そこのキミ、勉強しようね。


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