徒然日記その189. 再び躾のおはなし (7/22)

 

 ちょっと前に躾(しつけ)のことを書いた。最近の子供の躾はなっていないことがようやく分かってきたのであるが、それにしてもひどいものである。色々調べてみると、小学校に入学した時点で既に手に負えない子供がかなりいるらしい。ということは、躾の責任は小学校にはないのである。家庭である(幼稚園や保育園のせいにするアナタはバカ親である)。

 こういう手に負えない子供がクラスに3,4人もいればそのクラスはもうお手上げだろう。誰がお手上げかというと担任の先生が、である。その3,4人のクソガキが周りを感化してクソガキがねずみ算式に増えていくからである。小学校がそうなってしまうのだから中学校ではもっとひどい状況となるようだ。これも中学校の責任ではない。

 このようにして義務教育9年間に、公立学校ではクソガキ濃度が上昇していくのである。まるで有害化学物質の生物濃縮である。高等学校ではいったん濃縮が止まる、というよりも偏りが生じる(理由は説明するまでもない)。これは大学でも同じであるが、なにせ2人に1人が大学生なのだから、クソガキ濃度の高い大学(学部によっても違うようだが)が出現してしまう。

 驚くべき事に、授業中の私語がひどくて講義の成り立たない大学がいくつもあるのだ。ひどいところになると私語というより叫び声が飛び交い、平気で立ち歩くのである。5分と静かに座っていられない大学生がたくさんいるのだ。これじゃあ小学校1年生と変わらない。さらには、授業中にものを食べているヤツまでいる。これが我が国の最高学府の現状なのだ。

 躾の責任は家庭にある。それも小さいうちにしっかりやっておかないと大きくなってからでは厳しいものがある。まあ、こうなってしまった以上、他の大人達が口うるさくしつけなければならないと思うのだが、そういう口うるさい大人は少ない。確かに口うるさく言うと、「うぜー」「ムカツクー」と返ってくるのがオチだし、危険ですらある。殺される人もあるくらいなのだから。もうここまで来ると、ある程度の厳罰主義が必要かも知れない。「躾」を通り越して「調教」が必要なのであるから。

 

[今回は敢えて汚い言葉で書いてみました。それくらい私は危機感をもっているのですよ。]


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