徒然日記その227. ゆとり教育の見直し 責任とれよ!  (4/7)

 

 文部科学大臣が、とうとう「ゆとり教育の見直し」を指示したそうである。新しい中学校教科書では、前回削除された部分が随分復活したらしい。まことに結構なことである。ところで、これまで「ゆとり教育」を推進してきた文部科学省の役人は責任をとらないのだろうか。いまのところノウノウとやっているようだけど。コロコロと目先を変える文部科学省のおかげで、現場は大変混乱していると聞く。そりゃそうでしょう。そもそもコロコロと目先が変わるのは、理念がないからだと思うのだけど。それでも中央の役人の言うことは絶対であって、従うしかないのである。いやはや。もっと現場に近いレベルで意見や問題点を吸い上げて、現場が納得できる形で制度改革を行えないものだろうか。とは言うものの、私は「地方分権」にも期待できないと思っているのだ。

 最近の「南セントレア市」が象徴的だと思うんだけど、「地方分権」のトップたちがオバカだからである。これは学力低下よりひどい知能低下とでも言えよう。そもそも南セントレアは日本語的におかしい。この場合の「南」は「セントレア」を修飾する語であって、「南セントレア」とは、セントレアという地域の中の南部を意味するのである(例えば南アルプスは、アルプスの南の方を指すよね)。ところが実際は、セントレアのある常滑市とは関係ない地域なのだ。さらに、「南セントレア市」という呼称は、合併協議会のメンバーが出した案なのである。住民アンケートをとっておきながら、それをないがしろにするとは驚きである。それにもう1点。「美浜町」「知多」---なんとも美しい名前ではないか。地名というのは、歴史の中で生まれたものである。地域の歴史や伝統をリスペクト(尊敬・尊重)できない人間が合併協議会のメンバーを構成していることにも驚きである。

 もうこうなってくると「地方分権」じゃなくて「痴呆分権」である。こんなオバカたちが地方行政の中核に居たんじゃマトモなことなどできないと思えてくるのである。じゃあどうすでばいいのだろうか。選挙である。オバカを当選させないように、皆さん、投票に行きましょうよ。名古屋市長選の投票率が見物である。名古屋市民の「民度」が試されるのである。


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