徒然日記その247. 昔のメールマガジンの原稿を(その1)  (4/15)

 

4年ほど前にはスクールネットさんはメールマガジンを発行していたのである。今回から何回かにわけて、私の寄せた原稿を紹介してみようと思う。基本的に修正無しのオリジナル原稿であるから、入試の仕組みなどは現在と違っていることに注意して欲しい。

2002/1/5発行第1・2号の原稿

【R先生の塾日記メルマガ版】その1。愛知県の教育事情--私立高校編--

 スクールネットさんから「高校入試を中心に、より具体的なことを書いて欲しい」との依頼を受けた。なんでもメールマガジンを配信するとか。メールマガジンということは、インターネット上(ホームペーシ上)のような不特定多数がみれてしまう環境とは違うから、今まで気を使って「塾日記」に書かなかったことも書いちゃえるのだね。これは少し面白いぞ。(あれでもかなり気を使ってるんですよ。それでもスクールネットさんからお直しするように言われるんですけど)

 さて、記念すべきメルマガ版「塾日記」第一回で何を書こうかと考えてみた。高校受験生とその親御さん(とその予備軍)が読むそうなので、ここはやはり高校のことを書くべきであろう。この時期は受験校決定の時期だから、高校ごとの違いや私立高校と公立高校の違いなどを知りたいでしょうね。そこで、愛知県の高校のことをまとめてみたいと思う。(私は愛知県で教えているので、愛知県のことしか知らないので他県の皆さんには申し訳ないが)

 まずは、私立高校と公立高校の違いを書いてみたい。今回は私立高校について。まずは最初に告白しなければなるまい。実は私は私立高校がキライなのだ。大キライと言うほどではないのだが、好きかキライか?と尋ねられたら「キライ」と答える。では、なぜキライかというと、私立高校は恵まれすぎているからである。そもそも学校運営には、私立だろうが公立だろうが同じように莫大な費用がかかる。だから(私立高校が)少しばかり多めの授業料を集めたところで学校運営には全然足りないのである。ではどうするかといえば、国や県や市などから「補助金」を受け取るのだ。要するに税金をいただいているわけだ。校舎を立て直したら**%が補助金、パソコンルームを新設したから**%が補助金、クラブ活動の遠征費用の**%が補助金、という具合である。この**%が実際にどれ程なのか、部外者の私は知るすべもないのだが、案外高いと想像できる、なぜって、私立高校の設備を見れば明らかではないか。

 愛知県は財政難である。だからちょっと前に、私立高校に対する補助金(助成金)のいくらかをカットするという案が出た。ところが、私立高校(やその関係者=生徒の保護者も含めて)は「反対」の大合唱である。それで結局、この案は流れたと記憶しているのだが、私立高校の校舎や教室や設備を見るにつけ、ほんとに学校運営が苦しいのが疑いたくなってくるのだ。対して公立高校はどうだろうか。いい加減に建て直してもいいと思うくらい古くて傷んだ校舎の公立高校が少なくない。設備や備品にしてもそう。立派なパソコンルームのある公立高校は極めて少ないし、冷暖房完備の公立高校ってありますか?備品だってそうだ。私立高校のピッカピカのグランドピアノにも補助金が出ているのを考えると、公立高校のボロボロピアノが悲しいのである。なにも私立高校を一方的に批判したい訳ではないのだが、愛知県は私立高校に手厚すぎると思うのだ。だって、県の職員の給料をけずって(財政難をしのぐために、神田愛知県知事をはじめとして愛知県職員は給料がカットされている)、足りない予算を補っているんですよ(県立高校の先生だって県の職員である。ということは、その給料が削られて私立高校の先生の給料に充てられているとも解釈できるじゃないですか)。

 また、私立高校におけるスポーツや学習指導についても私は疑問を持っている。学生のアマチュアスポーツに外国人が出場するのはいかがなものだろうか。「留学生」と言えば聞こえはよいが、その競技で勝つために「招へい」したわけでしょ?やってる生徒たちは大変な努力をして頑張っていることは理解しているつもりだが、そのひたむきさが「高校の宣伝」に使われていることを思うと余計に腹立たしい。日本人選手にしてもそうである。高校野球の強豪校なんて地元出身者はどれほどいるのだろうか。インターハイや甲子園で勝ち残れば、数時間の単位で全国放送(テレビやラジオ)で放映され、新聞や雑誌で取り上げられるのだ。その宣伝効果たるや、ものすごいだろう。だからといって、優秀な選手を全国(国外からも)集めるのはね。

 学習指導についても言いたい。一部であるが、私立高校では、成績優秀者は授業料が必要なかったり、減免される。それっておかしいと思いませんか?他の生徒と同じように授業を受けているのに、なぜ、授業料が必要ないのだろうか(他の生徒よりも恵まれた環境で授業を受けられる場合もあるようだ)。その分は他の生徒の授業料や補助金でまかなわれているのだ。だから納得いかないのである。さらに、うんと成績の良い生徒は、お小遣い(奨学金とかそういう名目なのだろうか)までもらえるそうである。こういうことを聞くと、やっぱり大学の進学実績も高校野球と同じように「高校の宣伝」に使われていると思ってしまうのだ。そういうことを感じているので、私は、高校ラグビーで西陵高校や千種高校が私立高校を圧倒すると胸がすくし、高校サッカーで松蔭高校が私立高校をおさえて全国大会に出場すると気分がよいのである(誉められたことではないのだけど)。

 しかし、まあ、なぜ私立高校が「宣伝」に力を入れなければならないかというと、生徒を集めるためであって、これはすなわち、テレビに出ていたり有名大学合格者が多いというだけてその高校を選ぶ者が少なくないことを意味しているのである。つまり選ぶ側に問題が多いということであるから、高校を批判してても始まらないという結論に至るわけだ。しかし、また、選ぶ側にしても、知名度や進学実績くらいしか情報がないもの事実であろう。ここはひとつ、スクールネットさんに頑張ってもらわねばいけませんね。

次回は、公立高校の批判もしてみたいと思います。お楽しみに(?)。

 

2002/1/19発行第2号の原稿

【R先生の塾日記メルマガ版】その2。愛知県の教育事情--公立高校編--

 前回の塾日記では私立高校のことをケチョンケチョンに書いてしまった。学校関係者から抗議のメールが殺到するんじゃないかと内心ビクビクしていたのだが、そういうメールは一通も来なかったどころか、共感のメールがやって来たりして(私宛のメールはスクールネットさんへ。スクールネットさんが転送してくれることになってます)。さて今回は、予告通り公立高校のことをケチョンケチョンに書いてみよう。まあ、世の中、完璧な物などないわけで、なんでもそうなのだが、良いところと悪いところをしっかり見極めたいものであり、高校だって良いところも悪いところもあるということに気を付けたいものですね。

 さあ、本論。愛知県の公立高校である。まずは分析してみよう。最初に愛知県における公立高校の位置について。愛知県とは不思議なところであって、公立高校の方が私立高校よりも「偉い」らしい。「男尊女卑」ならぬ「官尊民卑」なんて言葉もあるくらいなのだ。最近は随分と変わってきて、私立高校の人気・レベルは上昇傾向にあるのだが、やっぱり公立高校−とくに伝統校−は人気があるし、ある種の「憧れ」まであるようだ。例を挙げれば、尾張では旭丘高校,明和高校,菊里高校,瑞陵高校、三河では時習館高校,岡崎高校など。歴史が古いから多くの卒業生を輩出していて、有名人も卒業生に多い(でも考えてみれば昔はこういう高校しかなかったんだから、歴史的に有名な人物が卒業生にいるのは必然ともいえるわけなんだけど)。

 次に公立高校の入試制度について。平成元年に複合選抜制になる前は、愛知県の公立高校入試は学校群制度というものであった。今の小中学生の親御さん達は、ちょうどこの学校群世代ではないだろうか。まあ、学校群制度だろうが複合選抜制だろうが公立の高校入試には悲しいポイントがある。それは「試験問題が共通である」ということ。つまり公立高校であれば、どの高校を受験しようが同じ入試問題なわけである(厳密に言うと、複合選抜制ではA日程とB日程の2種類あるが)。その結果何が起こるかというと、高校間の序列ができあがるのだ。いわゆる「ランキング」というものである。同じ入試問題なんだから合格ラインの比較が簡単なのだ。これは共通1次試験(現在の大学入試センター試験)によって国公立大学が序列化されてしまったことに似ている。

 ただ、愛知県の場合はこれだけではない。その点が他府県の公立高校との違いだろう。そう、「中統」である。正式には「中部統一テスト」と言ったはず。愛知県の全公立中学校で行われた中3対象の模擬試験(業者テスト)である。全中学生が受けたんだから、入試の予想どころか、もうほとんど確定データが出てきた。だから、受験結果の分析も極めてはっきりしたわけである。中統で○○点の生徒が受かったか落ちたかがはっきり出るのだ。だから、高校の難易度ランキングが明確に出てしまったのである。なにせ全員のデータだあるのだから(センター試験で予備校や模擬試験会社が躍起になって自己採点データを集めるのは、データ数が多いほど、分析結果の信頼性が増すからなのである)。

 「中統」のお陰で、高校の序列がはっきりしてしまい、高校生達の間にも序列意識がはっきり植え付けられたわけだ。だから同じ名古屋大学に入学しても、「A君は旭丘高校出身でボクは熱田高校出身だから、A君の方が偉い」なんて劣等感を持つB君が生まれたりするのである。おかしな話だ(私はB君の方が偉いと思う)。さらに注目したいのは、愛知県の今の中学校や高校の先生も、そういう序列意識のなかで育ったということである(保護者もそうか)。だからなのかどうなのか、例えば新設高校(五条高校とか旭野高校など)の先生は伝統校にライバル心を燃やして学習指導(というよりも進学指導?)にあたったわけだ。0時間目とか7時間目とか夏休みには学習合宿とか補習授業とか、とにかく勉強漬けの日々である。指導する方も大変だけどされる方もたまったものではなかったんじゃないだろう。高校生活イコール受験勉強である。青春はどこにいったの?状態だろうに。これほど熱心に指導されたら、入学時の学力からは考えられないような大学に合格できる者が多い(最後までついて行けたらの話だけど)。だけどやっぱり、「A君は旭丘高校出身でボクは五条高校出身だから、A君の方が偉い」なんて劣等感を持つC君になったりしたのである。やっぱり愛知県はヘンなところだ。

 そして、平成元年に公立高校入試は複合選抜制となった。受験機会の複数化が目的だとか。確かに2つの公立高校を受験できるようになったんだが、1群と2群、AグループとBグループ、というように分けられてしまって受験可能な組み合わせは思いの外少ない。また、旭丘=尾張1群A,明和=尾張2群A,菊里=尾張1群B,瑞陵=尾張2群B、時習館=三河2群B,岡崎=三河1群A、という具合に伝統(進学)校は全て別々の群になってるあたりなんて、伝統(進学)校を復活させる意図が見え隠れしていて笑ってしまう。

 あと忘れてはならないのが、調査書の扱いだ。いわゆる「内申書」のことである。現在の複合選抜制のもとでの公立高校入試では、調査書の評価の素点合計(要するに通知表の合計で内申点と呼ばれるもの:45点満点)と学力試験の得点(50点満点)と面接を総合的に判断して合否を決めるということになっている。つまり半分近くを占める内申点がとても重要であり、3月の学力検査を受ける以前にもう半分近くは入試が終わっていると言っていい。

 その結果、いくら学力があっても内申点が(志望の公立高校のレベルに)足りない場合は受験すらできないということが起こる(別に受験生本人の意思で受けても良さそうなものなんだけど、実際には中学校で止められることが多い)。この背景には、通知表が必ずしも学力を反映していないということもある(長くなるので、これについては、いずれ別の機会に触れる)。さらに、愛知県の公立高校の入試問題は決して難しくない。基本的な出題が多く、むしろ易しい部類に入るだろう。だから、学力試験での差がつきにくいという側面もあるのだ。

 こういう状況で行われる公立高校入試は、どのようなことになるかというと、

1.伝統(進学)校に合格するためには、内申点が十分あることが必要条件になってしまう。いくら学力があっても内申点が足りないと合格ラインを越えられないのだ。例えば、トップ校とも言われるような高校--旭丘高校,明和高校,時習館高校,岡崎高校などの受験生は、ほとんどオール5が当たり前である。だから、例えば学年1番であっても(英数国理社が得意であっても)体育や音楽や美術や技術家庭科が苦手だと合格するのは至難の業ということになってしまう。また、このレベルの受験生にとっては入試問題はかなり易しく、ほとんど満点勝負であるから、内申点が足りない分を試験で挽回するのも困難である。これは内申点が十分ある場合でも同じことであって、オール5(内申点45)であっても不合格になる受験生もいるのだ。試験でミスをしたらそれだけで不合格にもなりかねないなんて、ヘンな話である。共通の入試問題の「無理」がこういうところにも出てしまうのだね。(難しくすると下のレベルの高校の受験生が全然解けない)

2.レベル的に、トップ校の次に位置する高校(だいたいオール4つまり内申36以上か?)では、2つのグループが生まれたように思う。1つは、トップ校と組み合わせて受験される高校。トップ校で不合格になった受験生が流れてくるので高校のレベルとしては上がったようだ。名東高校あたりがそうか?もう1つは、その逆の高校。トップ校と組みようがないので、レベルダウンしてしまったようである。倍率が低ければレベルは下がるというのは、受験の世界の必定のようだ。例えば、中村高校。この高校は、学校群時代には明和高校と群を組んでいた。だから、明和高校志望の半分は中村高校に入学していたのである。だから当時は、名古屋市西部ではトップレベルの高校だった。複合選抜になって、尾張1群Bグループの中村高校は、その相手となる尾張1群Aグループ校を実質的にに無くしてしまった(尾張1群Aで、レベル的に上にあるのは旭丘高校だけ)。第2志望に中村を選ぶ旭丘高校の受験生は少なかったようで、その結果、倍率はどんどん下がり、実質的に定員割れした年まであるわけだ。そりゃレベルも下がりますね。

3.中堅以下の高校(オール3の中に4がパラパラあるくらいのレベル?)では、ずいぶん様子が変わってきたようだ。私立高校指向が高まってきたのだ。中途半端な公立高校に行っても思うような大学進学が難しいので、それなら最初から大学の附属高校に入ってしまおう、と言うらしい(私個人としては、何が中途半端なのかよくワカランのだけど、生徒の保護者からよく聞く台詞である)。これは私立高校が熱心に学習指導をしていることもあるだろう。言い換えるなら、公立高校の学習指導が信頼されていないということである。

4.さらにそのレベルよりも下の場合(ここで注意して欲しいのは、学力レベルが今はたまたま低くて下位にランクされているだけであって、将来そうでなくなることも十分考えられるし、下位にランクされているからといってその高校の生徒や先生が人間として"低い"わけでは決してない)。公立高校の悲しいところは、定員目一杯合格されなければいけないことである。これは当然だと思うかも知れないが、ある私立高校なんてレベルを上げるために、成績上位者だけしか合格させなかったことがある(定員よりずっと少ない合格者数だったということ)。しかし公立高校はそうはいかないのだ。だから何が起こるかというと、競争率(倍率)がダウンしたらそのままレベルもダウンしてしまうのだ。そして倍率1倍を切ったらなにが起こるかというと「全員合格」となるのだ。オール1でも合格である。これでは入学後授業にならないわけであり、また、そういう生徒は素行のよろしくないものが多い。それで、その高校は「授業なんてまともにやれてないらしい」「不良がたくさんいて怖いらしい」「地域の住民が閉校を願っているらしい」などという噂のネタにされてしまう。こうなってしまうと悪循環におちいってしまって、まずます志望者が減るから、ずっと倍率1倍割れである。あえて名前は書かないが、高校ガイドブックに載っている学年ごとの人数が、1年から2年,3年に進むにつれてどんどん減っている所がそうなのかもしれない。退学者が多いということだ。

 さて、ここまで長々と書いてきて、最後に言いたいことは、「公立高校の授業、つまり学習指導が信頼されていない」という点である。私もそう思うことが多いのだ。これは、教育困難校だけのことではなくて、中堅校も伝統進学校にも言えることではないか。ホームページの塾日記にも書いたけど、受験直前に全然関係ない授業をしたり、雑談だけで一時間使ったり、手を抜いている教師は公立高校の方が多いと感じるのだ。もちろん、高校というのは学習指導だけを受けるところではない。しかし、学習も重要な通学目的なはずである。また、高校1年生はまだ中学生みたいなもので、教師の影響はとても大きい。だから、真剣に熱心に授業する教師と、手を抜く教師とでは、授業の雰囲気,そして学校の雰囲気もずいぶん違ってくるのだ。残念ながら、公立高校の雰囲気はよろしくないようだ。ただ、トップ校は生徒の資質がもともと高いので、進学実績では見劣りしないだけではなかろうか。

 じゃあ、私立高校と公立高校とどちらがいいのか?それは私にも分からない。え?無責任ですか?だってホントに分からないのである。そもそも大学進学のことだけで高校を選ぶなんてヘンだと思うし、不本意な入試結果で入学した高校で素晴らしい先生に出会って学問や芸術やスポーツに開眼することだってあるのだ。だから、受験校を選択するに当たって、知るべきことは、どんな先生がみえるか、ってことじゃないかなあ。これは予備校や学習塾でも同じである。

大学のことが出てきたので、次回は、「東海地方の大学ヒエラルキー」について。愛知県の地元自己完結型の大学階級制度を考えます。

 


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