徒然日記その250. 昔のメールマガジンの原稿を(その4) (5/25)
4年ほど前にはスクールネットさんはメールマガジンを発行していたのである。今回は私の寄せた原稿(その3)を紹介してみよう。基本的に修正無しのオリジナル原稿であるから、4年前の入試の仕組みや入試難易度などは現在と違っていることに注意して欲しい。
2002/9/14発行第6号の原稿
【R先生の塾日記メルマガ版】その4。塾というものは・・・
さて今回は、予告通りに学習塾業界の実体を書いてみたいと思う。
さて、塾のハナシである。学習塾業界はヘンな世界である。じゃあ、何がヘンなのか。見ていくことにしよう。
そもそも塾とは企業である。これは、個人の小さな塾(個人企業)でも、大手の塾(大企業?)でも変わらない。この企業である点が、学校と決定的に違う部分なんだけど、なまじ学校と同じようなこと(学習指導)をするから、学校に望むようなことまで望んでしまいがちになるのである。これは大きな間違いなのである。
では、企業だから何なのか?そう、利益を追求しなくちゃならないのである。だって利益が出なければ潰れちゃうのだ。これは悪いことではない。それで、利益を出すにはどうすればいいかを経営者は考えるわけだ。それには、売り上げを増やして、経費(かかるお金)を減らせばいい。当たり前である。じゃあどうするのか?塾の場合は単純明白である。
@売り上げを増やすには、生徒の数を増やせばよい
A経費を減らすには、講師の給料を押さえればいい
塾の売り上げなんて授業料しかないのだし、経費なんて殆どが講師の人件費なのである。この点が、色々な商品やサービスを作ったり売ったりしている他の業種と違うことろである。まあ、単純なのは説明しやすくて助かるんだけど、この@とAが、この業界の、複雑怪奇な部分を作り上げているのだ。順を追って説明していこう。
まず、@の生徒を増やす方法である。塾に通うのはもちろん子供である。子供が授業というサービスを受けるのである。しかし、実際に授業料を払うのは親なのだ。つまり、サービスを受ける者と対価を払う者が別人格である。こんな業種は他にない。では、どちらが塾を選ぶかというと、どちらの場合もある。子供が塾を選ぶ理由は、友達が通っているからとか、なんとなく良さそうだからとか、積極的でなく抽象的なものが多い。そこで塾は何をするかというと、生徒をダシに使う。紹介したら紹介料を払うとか、説明会に連れて行くだけで紹介料をくれるところもあるらしい。一度来れば、もう放してもらえない。洗脳されるか夜討ち朝駆けの電話攻撃が待っているのだ(笑い)。こういう例もある。塾の宣伝チラシに「このチラシをお持ちいただくと記念品贈呈」と載せる。知らない塾にいきなりチラシをもって来る者はいないのだけど塾の生徒たちに「きみたちも持ってくれば記念品あげるよ」の一言がある。それを聞いた塾生達は、次の日の中学校で、塾に通っていない友達に「○○○塾のチラシ家にない?」「○○○塾だよ、○○○塾!」と塾の名前を連呼である。テレビCMよりずっと効率のいい宣伝だ。
一方、親はどういう理由で塾を選ぶだろうか。もっとも注目されるのは合格実績である。旭丘高校X人とか岡崎高校X人とか、確かに数字は客観性があるから塾の比較をやりやすい。しかし、ここに落とし穴が存在するのだ。
注目されるし、一番宣伝効果が高いから、塾は、いわゆるトップ高の合格実績を稼ごうとする。当然である。しかし、合格実績の稼ぎかたにも色々あるのだ。フェアでないことも平気でやる(一部だと思いたいけどね)。例えば、いくつかの大手塾の発表するトップ高の合格者リストには、同じ名前が出ている。こんなものは序の口である。トップ高合格者を増やすのに最も手っ取り早い方法は、成績のよい中学生をたくさん確保することである。そのために色々と手を打ってくる。例えば、「あの塾はレベルの高い生徒が多い」っていうイメージを作る。そうすりゃ成績のよい中学生が集まってくる。さらに、成績のよい生徒が出す合格実績につられて次の年も成績のよい生徒が集まるし、そうじゃない生徒も実績につられて集まる。塾としてこれほどおいしいことはない。
じゃあ、どうやって「あの塾はレベルの高い生徒が多い」っていうイメージを植え付けるか?例えば、友達同士2人で入塾試験を受けに来たとしよう。試験の成績にそれほど差が無くても(入塾しても問題ないレベルでも)必ず一人を落とすのだ。そうすれば2人ともが「簡単には入れない塾だ」と思う。イメージ刷り込み完了である。あとは刷り込まれたイメージがお母ちゃんたちの口からどんどん広がるのを待てばよい。あるいは、こういう個人塾の例もある。その塾は開校時に、その地域の中学校でトップ高に合格できそうな中学生を一人だけ確保した。あとは、その生徒を徹底的に鍛え上げて中学校内で一番にしてトップ高に入れる。そうすればその塾は、その地元で確固たる地位を築いて、毎年その中学の一番が来るようになる。そうして、芋づる式に生徒を増やせたのだ。
まあ、どういう経緯があったにせよ、志望のトップ高に合格できる生徒はハッピーなんだろうけれど、世の中そんなに甘くない。合格できる生徒のが遙かに少ないのだ。当たり前である。「あの塾はレベルの高い生徒が多いから、(トップクラスじゃない)うちの子だって、あの塾に入れたらトップ高に合格するかも」で入塾した場合、最近はどこの塾も生徒の奪い合いであるから、わりと簡単に入塾できる。入塾試験や入塾条件が形骸化しているし。しかし、考えても見て欲しい。いわゆるトップ高を目指す授業にオール3の子供がついていけるのだろうか。成績が伸びるのだろうか。それで、居るだけ・通っているだけになるのだ(例外もあるけれどほんの少しだ)。これは、「入れたらなんとかなるかも」という親の勘違いによるものだ。
また、合格実績至上主義の塾では、受験指導にも問題が多い。要は合格数を増やせばよいのだから、できるだけたくさんの生徒にトップ高を受験させればいいのだ。ギリギリとかちょっと届かないか、という生徒でも受験させれば合格するかも知れないからだ。ダメなら「残念だったね」の一言で終わりである。どうせ、受験がすんだらオサラバなのだ。
こういう例を挙げよう。その子は中2から合格実績至上主義で有名な大手塾に通い始めた。5教科のうち3教科の成績はメキメキ上がったのだけど、苦手な2教科がどうしても克服できない。高校入試の過去問をやっても、得意の3教科はいつも満点がとれるけれど苦手の2教科では7〜8割しか得点できない。内申点は足りているけれど、これじゃあ合格はきわどいし、苦手な教科をかかえたままトップ高に入ってもシンドイことは目に見えている。しかし、その塾の受験指導は「挑戦してみよう!」である。挑戦というと聞こえはいいが、そんな指導は良識ある指導だとは言えないはずだ。そして本番でも、100点・100点・100点・70点・70点でトップ高には不合格だった。その生徒曰く「だまされたって感じですね」である(その生徒は、高校から私の所に通い初めて、第一志望の国立大に現役合格した)。愛知県は2つの公立高校を受験できるから、チャレンジは悪くない。しかし合格することだけを考えた受験はよくないと思う。入ってから伸びなきゃ意味はないのだ。こういうパターンも多い。塾での強引な(あえて強気とは書かない)受験指導のせいで、自分の実力を勘違いしている生徒が多いのだ。実力もないし運もなかったので第一志望のトップ高には落ちたが第2志望に合格した生徒に、こういうのが多い。「自分はトップ校を受けたくらいだから、この高校には余裕で合格したんだ」という勘違い君や勘違いさん達である。しかし高校での授業が始まったらチンプンカンプン、成績は低空飛行開始である。そもそも実力がないのだから、当然ともいえるし、他人依存型の勉強しか知らないと、放任(各自の資質と自覚に任せる主義の)公立高校では厳しいものがある。
塾は教育機関ではない。単なる学習指導企業である。「塾屋風情が教育なんか語るな。合格販売会社に徹しろ。」とは、関東の大手塾の経営者のセリフだが、まさにそう。だから合格させるためなら何でもするし、言い換えれば合格する可能性が高まるならば教育的によくないことも平気でやる。授業だって、テストで点を取らせるのが究極の目的だから、教科の本質的理解なんてどうでもよいのだ。そう、解法パターンや受験テクニックの丸覚えである。
内申点が重視されるようになって、この丸覚え指導は大変やりやすくなって、塾としては願ったり叶ったりである。だって、定期試験対策を徹底的にやれば済むのである。範囲のない試験よりも遙かに簡単に点を取らせることができる。その中学校の過去問の収集と分析は当然で、出題する教師まで調べて(生徒に聞き出させる)その教師の授業ノートをくまなくチェックして試験対策である。そんなものは教育ではないし、それで成績が上がったとしても学力がついたとは言えないのだけれど、親も子も勘違いして大喜びである(定期試験では成績がいいのに実力試験や模擬試験でガクンと落ちるとしたら、あなたの通っている塾は・・・)。そして、そのまま、トップ高に合格していく生徒も何人かいる。そんな勉強しか知らないで(といよりも自分で勉強できるようにならないで)トップ高に入ったって先は見えている。たまたま運良く(またそういう指導をしてくれる予備校に巡り会って)難関大学に合格したっていつか破綻はやってくる。世の中、いつでも誰かが教えてくれるわけではないし、いつも答えが用意されているとは限らない。それこそ「生きる力」が試されるんだけど塾じゃそんなこと教わらないのだ。
では次に、Aの講師の給料を押さえる方法を書いて見よう。これは簡単である。年齢が高いと給料は高い。これは日本の伝統である。年功序列ってやつだ。だから、給料の安い若い人間を使うのである。もちろん、それなりに指導力がないと生徒は集まらないのであるから、ある程度のレベルにまでは「訓練」する必要があるんだけど、たかだか中学の内容である。それほど困難なことではない。ダメならクビにすればいいんだし。つまり、できるだけ多くの大学新卒者を集めて(他業種よりも初任給を高くすれば集まる。大学新卒者は単純なのだ。就職難だしね)、それなりに「訓練」すれば(ダメなやつは講師以外のポストに"降格"するとかもっとダメなのはやめさせればいい)、塾講師の一丁上がりである。若さは勢いもあるので、馬車馬のように働かせればオッケーである。夏休みなんて朝から晩まで授業である。冷静になって計算してみたら時間当たりの給料なんてコンビニやファーストフードのアルバイトより低賃金の世界なのだ。この点が大学受験予備校の講師と違うところである(大学受験予備校の講師の給料も最近はずいぶん安くなってしまったけど)。
さて、そういう若者が塾で経験を積んだとしよう。つまり、辞めることなく数年が経った、と。ここで経営者はなにを考えるか?とっとと辞めて欲しいのである。別に能力や実績に不満があるわけではない。しかし、年齢とともに給料を増やさなければならないので人件費が増える。だから辞めて欲しいのである。なに、代わりなんてまた「訓練」して作ればいいのだ。大学生をアルバイトで雇うテもあるし。だから、この業界の初任給は他業種より高いがその後の給料はちっとも増えないことになっている。とっとと辞めさせるために、である。定年まで勤めあげて退職金をもらった塾講師って聞いたことありますか?テレビCMで見るのは若い講師だけだと気付きませんか?創業ウン十年の大手塾だってそんなものなのだ。
あるいは自分から辞めて独立開業するパターンもある。「これほど働いているのに給料がちっとも増えないし、他業種に就職した大学の同期のやつらにも年収で抜かれちまった。自分の塾を開いてやる」である。辞めるときに生徒を引き連れていくケースも少なくないようで、仁義無き世界がこの業界なのだ。こうやって開業して、被雇用者が経営者になる。今度は講師を雇う立場になるわけだ。それでこんどは経営者の思考が働いて前述のことを始めるのである。そうすると、また生徒を引き連れて辞めていく講師が出てくるわけで、まさに因果応報、そして堂々巡りである。いやはや進歩がない世界である。
以上、塾経営の観点からこの業界を眺めてみたのだけど、あらためてデタラメな世界であることを実感した(と書いてる私もこの業界の人間である)。
こんなデタラメなことを繰り返していたら、普通は業界として成り立たないはずである(食品業界の雪印を見てみたまえ)。ところが、成り立ってしまうのがこの業界のたくましいところである。いや、たくましいのではなくて、やっぱりヘンなのだ。だって塾に通うのはほんの数年である。受験がすんだら綺麗さっぱり忘れてしまうのだ。だから次に入ってくるのは全く新しいカモなんである。ずっと飲み続ける牛乳とは違うのである。新しいカモがネギをしょってやってくる。それが毎年繰り返されているだけなのだ。そもそも、塾に通う子供がこれほど増えたのに、どうして日本中が学力低下なのだ?そう、塾は学力向上なんかさせていないのである。
それでも塾を選びたいアナタに、最後にひとつアドバイスを。塾の指導力と経営力は全く別物である。というより指導力と経営力は裏表の関係にあると言えるだろう。急速に伸びている塾(どんどん校舎を増やしているとか生徒が増えているとか)は、経営力があることは確かであるが、前に書いたようなことをしてるからかも知れない。指導力はホントにあるのか、さらには、子供の将来を考えた指導をしてくれるのか・・・。講師がコロコロ変わる塾は要注意だ。これ、定説。
[注意:全部の塾が書いたようなことをしているわけじゃありませんよ。ほんの少しのところです。]
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