子育て日記 その14 2011.6.17.
< 長男大学へ (その2) 〜私の見た一宮西高校の受験体制〜 >
で、長男の大学受験(昨年)は、どうなったかと言いますと…センター試験で苦手の国語が破滅的に悪かったので、彼は意気消沈して帰って来ました。覚悟はしていましたが、ここまで日常が出るとは。総合点も当然国語が響き、名大はおろか地方の国公立も疑問という点数でした。
数日後、長男は妻に、受験する大学や学科を変えると言っているとのこと。私はそれを聞いて、肩が落ちました。私もかつて受験に失敗した身です。だからそのショックはわかります。しかし、時間を掛けても所信を貫いて欲しいと思っていました。
それからほどなく、長男が私に話があるといいます。「名大を受けようと思う。方針は変えない。名大の電気電子か応用物理、後期は名工大の電気電子のまま行こうと思う。高校の担任には無理だと言われた。『前期を名工大にした方が良い。後期の名工大は名大並みの難しさになる』と。でも自分は名大も無理だと思っていない。」
私は、それを聞き、この子は将来、大きく自らの道を踏み外すことはないと思いました。
目先のちょっとした困難で行くべき道を変えてしまい、目標を見失うことこそが、人生においては最もモチベーションを奪うと思うからです。そうせずに、例え浪人を覚悟しても目標を変えなかったということは意義があると思います。私は、「それでいい」とだけ答えました。
さて、名大受験となりました。長男は物理と化学は抜群ですが、数学は普通です。しかし、この数学も爆発して来ないと現状を覆し名大に合格することは出来ません。1〜1.5問他の人より多く正解しないといけないということを意味します。いよいよ本番になりました。意気揚々と東山に向かって出て行きました。その長男が帰って来ました。「力は出したが、数学は普通だった。物理と化学は満点に近いけど、数学が普通じゃだめだなぁー」と吼えていました。そして、やはり、名大から朗報が届くことはありませんでした。(*)
後期の名工大の電気電子はわずか20人余りの定員で事前の倍率は8倍を超えていました(**)。後期の受験も終えて遊びまわっている長男に、朗報が届きました。「めでたさも中くらいなりおらが春」というようなことを言いますが、満更でもなさそうです。次は名大へ行くと言っています。次とは修士のことですが、他大学の大学院へ行くのは、 これまた難しい話だと思います。
長男は、楽しんで勉強にも受験にも取り組んでいました。私は、彼のしたいことに援助しただけで、後は明るい家庭にして楽しく接していました。
かくして、長男の受験は終わりました。と、言っているうちに次男が同じ一宮西高校の3年生になりました…ので、またおつきあいを。
*ボーダーより50点不足(大学からの得点開示) **最終(実質)倍率は3.5倍
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