徒然日記その115. 新・指導要領  (10/1)

 皆さんは、来年度から指導要領が改訂されることは、もうご存じだろう。しかし「来年度から」内容が削減されるというのは間違いである。すでに「移行措置」という削減は始まっているのだ。各教科で削減は行われているのだが、とくに理科の削られ方がひどいと感じる。

 例えば、第二分野の「動物」。人の体の仕組みから始まって、セキツイ動物(背骨のある動物--ほ乳類、鳥類、爬虫類、両生類、魚類)の特徴や分類を学び、無セキツイ動物(昆虫や軟体動物)につながっていく。ちょうど中2で学習する単元である。ところが今年は無セキツイ動物の章は全部カットである。削減されたのである。虫を見たり触ったことのない子供たちに、虫のことは一切教えないのだ。これでは一生、クモはどうして昆虫じゃないのか知らずじまいである。バッタはどこで息をしているかも知ることはなくなる。身の回りの生き物の生活を知らないで、何が「生きる力」なんだろうか??

 さらに教える側も気に入らない。ただ指導書通りに話して板書するだけ。そういう教師が増えていると感じるのだ(指導書とは、教師用の教科書で、赤で単元の導入や説明の仕方や例題などがのっているもの。定期試験の問題をこの指導書からそのまま持ってくるケースもあるようだ)。指導要領を見て教えるべき内容を知ったら、授業のやり方をイメージできるのがプロの教師なのではなかろうか。ところが、その拠り所が指導書だけとはまことに情けない限りである。

 事例を示そう。先ほど出てきた中2の人体の単元だ。消化の仕組みを習う章がある。食べ物がどのように消化されて栄養分として吸収されるかを学ぶところである。この中に消化液もいくつか出てくる。だ液や胃液などである。小腸で分泌される消化液も出てくる。「腸液」である。ところがある教師は「小腸の壁から出る消化液」と教えるらしい。指導書にそう書いてあるようだ。他の教師は従来通り「腸液」で教えているからたちが悪い。クラスによってバラバラなのである。一体どうなっているのだろう。

 だいたい、「小腸の壁から出る消化液」だなんて舌をかみそうな長い名前を覚えて何になるのか。消化の仕組みを学べばよいはずである。消化の仕組みを学ぶのに「腸液」だと不都合で、「小腸の壁から出る消化液」だと都合が良いというのか。他にも色々ある。小腸の表面には表面積を大きくすべくヒダがある。「柔毛」と呼ばれるもので、「柔突起」とも呼ぶ。ところがテストで「柔突起」と答えるとペケである。授業では柔毛と教えられたからである。世の中では「柔突起」だってちゃんと通用するのに、である(例えば、このホームページを見てください)。「柔突起」と答えた生徒は、小腸の表面の様子を知らないと言えるのだろうか。

 指導要領を改訂するのも結構であるが(個人的には今回の改訂は気に入らないが)、それ以前に、その指導要領に基づいて教える側の意識やスキル(能力)も改訂して欲しいものである。指導書に頼り切ってする授業など、誰だって出来ると言うのは言い過ぎだろうか。このコラムを読んでる先生!自信を持って自分は大丈夫だと言い切れますか??


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