徒然日記その136. 最近の大学:入学後の学力テスト??  (4/1)

 最近、テレビや新聞でよく目にするのが「大学に入ってからの再教育」である。入学してきた生徒に、大学の授業についていくための基礎学力が不足していることが理由。しかし、ちょっと待って欲しい。「入学試験に合格した生徒」に基礎学力が不足しているってヘンだと思いませんか?自分で自分の「入学試験は意味がない」と言っているに等しいと感じるのは私だけではあるまい。そもそも入学試験とは、その学校で学んでいく力(学力)をみるためにあると思うのだが。

 入学試験は、定員よりも多い受験生を振り落とすために行われるという一面もあった。だから、意味無く難解な入試問題がはびこってきたのである(これは以前に書いたことだ)。ところが、最近は状況が変わってきたようなのだ。これは、とくに人気の低い大学で顕著なようである。「これ」とは何かというと、「受験生が集まらないこと」である。定員割れするほどでないにしても、レベルを維持するのに十分な受験生が集まらないのだ(レベルを維持するのに最低限必要な倍率は、見かけ倍率ではなくて実質倍率で2倍以上だと思う)。競争率(倍率)が低いから、本来入学させたくない受験生まで合格させざるを得なくなる。だから、入学してきた学生のレベルは前述の通りなのだ。

 一度こういうことをした大学は、かなり混乱するようである。それを反省してかどうか、あえて定員いっぱい合格さないところも出てくるようだ(ボーダーラインの変動の大きい大学はそういうことをした可能性がある。合格者数を年ごとに比較すると面白いかも)。

 また、一部の大学は、高校側にも問題があると見ているようだ。入学時に、高校でどの科目を履修したか(例えば、「数学」というのは「教科」であって、I,II,III,A,B,C などが「科目」である)、どの程度理解したかを詳細に調査している大学もあるようだ。確かに、受験に必要ない科目の時間を削って必要な科目の時間数を大幅に増やしている私立高校もある(高2から数学の時間が全然ないという、信じがたいカリキュラムもある)。もっとも、受験に必要な教科を少なく設定している大学側にも責任があるといえようが。そして、なぜ受験教科・受験科目を少なく設定するかと言えば、受験生が集まらないからである。こうして見ると、一部の大学は(一部を除いた大学だったりして)、自分で自分の首を絞める悪循環に陥っているようにも見えてくる。さらに、なぜそんな悪循環が始まるかという本質的な理由を考えてみると、要するに子供の数に比べて大学が多すぎるのだ。この少子化の時代に大学の数はどんどん増えているんだから、そうなるのは明らかである。しばらくは、そうした"負け組大学"の淘汰が続くのであろう。


一つ前へ  次へ     塾日記目次へもどる   トップページへ