徒然日記その142. 家庭での勉強量 (6/3)
小学生から大学生まで学力低下が甚だしい今日この頃、感じるのが勉強量の少なさである。学校での授業時間数も削減されたけれど、それだけが学力低下の原因ではないということに注意しなくちゃいけない。そう、家庭学習の量である。今の世の中、「一生懸命」とか「無我夢中」とか「がむしゃら」なんていうことはカッコワルイという風潮があるようで、いかに短時間の勉強で良い成績をとるか、いかに少ない労力で志望校に合格しようか、いかに楽に授業の単位をとろうか、とか、そういうことに子供も親も熱心であるように見える。
こんなことであるから、勉強にしても薄っぺらなものしか経験しない。これでは学問の面白さに触れることもないだろう。なにも全員が学問の面白さを知っている必要はないのだけど、そういう人間の比率の高さが、その国の国力の高さを示すように思えるのだ。だって、高度な学問が栄えないで、新しい技術や世界に誇れる文化なんて育たないでしょ?そう思いませんか?
それにしても、である。中学生や高校生の勉強しないことといったら!家庭学習時間「ゼロ」がゴロゴロいるのだ。理解力もなく、さらに勉強もしないのだから、そりゃ学力は下がる一方である。「理解できない内容を自習なんかできないでしょ」と反論するアナタ、現在はそんな次元じゃないのだ。漢字や英単語がまともに書けないのである。つまり理解以前の問題なのだ。首に縄を掛けてでも机に座らせて漢字の書き取りをやらせるのは、子供の人権を侵害することになるんだろうか。その子の将来にとってはとても意義のあることだと思うんだけど。
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