徒然日記その155. 既製品と手作り品 (9/2)

 あなたは、どこにでも売っている品物(既製品)と、手作りの品物とでは、どちらがありがたいと思いますか?そう、普通は手作りの品物ですよね。

 いきなり何のお話しかというと、今回は教材のお話しなのだ。塾で使う教材は書店には売っていない。では、どこで手に入るかというと、塾教材を扱っている業者から手に入る(個人には売ってくれないだろうけど)。で、この塾用教材、それほど種類があるわけじゃない。大手の塾が、オリジナル教材だなんてよく言ってるけど、たいていは表紙だけがオリジナルである。つまり中身は既製品なのだ。既製品だって使い方次第なんだけれど、「オリジナル教材だ」ってわざわざ言うってことは、オリジナル教材の方がありがたがられるのである。

 さて、この既製品、残念ながら私は今までに「これだ!」っていうものに巡り会ったことがない。ある部分が足りなかったり他の部分に余計なところがついていたりしているからだ。考えてみれば、教材メーカーは、他社製品と少しでも違うところを出そうとするのが宿命であって、その結果、よけいな部分がどんどん増えていく。つまり付加価値をつけようとして的外れな方向へ行ってしまうようだ。これは、普通の書店で売っている問題集や参考書にもあてはまる。では、何が足りないかというと、解答・解説である。解説が不十分なものが実に多い。

 つまり、購入する側は、中身の見てくれだけで判断するので、そういう部分は時間も労力もかけてしっかり作り、全然気にされない解答・解説で手を抜くというわけである。塾用教材では、講師が教えるのに使うわけでだから、解答・解説があっさりしていても問題ないことが多いんだけど、練習問題が少ないとか、掲載されている問題パターンが少なかったりしたら困るわけである。だから、講師は自分でプリントを作ったりしなくちゃいけない。ここが腕の見せ所だったりして楽しい部分でもあるんだけど、やっぱり大変である。そして、大変な思いをして作った数十ページのプリント集は、「先生、これ、ショボイね〜」の一言で評価されてしまう。とくに手書きのプリントだと、そういわれる確率が高くなるようである。世の中、活字になって綺麗に製本されているものは、無条件で受け入れられるようだ。その逆は受け入れられない。ショボイの一言で終わりである。どんなものでも、見てくれじゃなくて中身だと思うんだけど、中身を見抜くにはそれなりの見識が必要ってこともあって難しいものなのである。


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