徒然日記その154. 夏休みの宿題に見る親の過干渉 (8/26)

 ちょっと前に夏休みの自由研究のことを書いた。今回はその続きである。なんだか最近は愚痴ばかりになっているというご指摘も頂くのだが、それだけ色々と問題があるということでもあるので、少しおつきあい頂きたい。(しかし、よくもまあ150回も書くことがあったものだ)

 さて、自由研究である。名前の通り自由なのであるから、自分のやりたいこと・興味のあることを調べたり実験したりすればいいと思う。難しく考えずに身の回りのことなら何だっていい。もちろん、その実験結果や調べたことに対する考察とか結論とか、自分の意見を読み手にわかりやくすくまとめてあればより良いのだが。まあ、しっかりできているに越したことはないんだけど、まずは、「自分で」これをやりたい・こういうことをやってみよう、と思うことが大切だと思う。人間だれしも、最初からうまくできるはずはないのだし、うまくまとめられなくて苦労するとか、書き直すとか、時間に追われて8月31日の晩に「ひいひい」言ってるとか、子供の頃のそういう失敗とか苦労の経験こそが貴重なものであり、次の機会そして将来に役立つと思う。

 ところが、である。多くの場合はそうではないのだ。「そんなことよりも、こっちの方がいい成績が付くから、これをしなさい」「そんなテーマは先生受けが悪いからやめなさい」である。親の頭にあるのは、「成績」「先生受け」なのだ。確かに成績にも関わるし(意欲・関心・態度が重視される現在の仕組みでは、宿題の提出はとても重要だ)、"自由研究らしい"テーマの方が受けもいいだろう。子供達もその辺のことは理解しているようで、「やっぱテーマを変えたよ」「お母さんの借りてきた本で調べことにしたよ」である。

 その結果、内容は古典的テーマのオンパレードである。こんなことを繰り返していれば、子供達は自分で考えることをしなくなる。それが分からないのだろうか。目先の成績にこだわっていたって、一体その先に何があるんだろうか。ウンザリする今日この頃である。


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