徒然日記その165. ああ、自己嫌悪 (12/2)
中学校の期末試験が終わった。また自己嫌悪である。私は、普段から中学校の授業進度よりも、かなり先走って授業をする。これは、その教科の本質をじっくり理解する時間をとりたいからである。これは本来は中学校でなされるべきことだが、最近はそういう授業をやらない(できない?)学校が増えたからだ。
それはさておき、自己嫌悪の理由である。私は点を取らせるだけの授業が嫌いである。大嫌いである。しかし、点を取らせたくないわけじゃないし、成績を上げてナンボの世界で収入を得ているのであるから、プロの端くれである。だから、いよいよテストが迫ってくると姑息なテクニックを教えてしまう。今回は中3の数学でやってしまった。二次関数の応用問題を一発で解く方法だ。本来の解き方は連立方程式を立てて順に解いていくのだが、公式(のできそこない)に代入して一発、というテクニックだ。その「公式のできそこない」は、高等数学を理解している者なら導出できる程度のものだけど、中学生には理解できないので、公式だけ、つまり結果だけを教えたのである。結果だけを使うなんて数学の本質の正反対のことである。ああ、自己嫌悪。「いいか〜、こんな解き方は邪道だぞ〜。ま、邪道でも時間が足りない時には役立つからな〜」と言いつつ教えるのが精一杯の自己批判である。「先生、スゲー」「先生が考えたの?さすがー」という生徒達のリアクションが、私をさらに落ち込ませたんだけど。テストの翌日、「先生、邪道が出たよ〜」「邪道で解けちゃった」という報告が、私を再び落ち込ませる。
こんなことの繰り返しが塾屋の日常であり、これから入試に向けて、さらに邪道を教えることになっていくのである。ああ、自己嫌悪。しかし、嬉々として邪道を開発するとか、自慢げに邪道を教えるようには絶対ならないぞ、と誓っている。そういうタワケの多い業界が日本の学力低下を招いているのである。タワケに教わった者がまたタワケを作り出す。タワケの拡大再生産である。え?私もタワケの一味ですか?はい、すみません。
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