徒然日記その166. 「・・・・。」 (12/9)

 今の中2の愛知県公立高校受験の大筋が発表された。そして、その決定の経緯が新聞にのった。読んであきれた。もうコメントする気もない。全文引用しますから、みなさんも考えてみてください。中学も高校も自分たちの利益を守ることしか考えておりませんな。

中日新聞2002年12月2日朝刊より引用

今春から小中学校へ全面的に導入された絶対評価で、全日制公立高校入試が変わろうとしている。今の中学二年生の入試から調査書(内申書)に絶対評価を採用する愛知県では、学力検査と内申書の比重に高校側の裁量を認めることになった。だが、決定までの議論などをみると「あるべき」入試論より、内申書重視の中学側と学力検査に力点を置きたい高校側の綱引きばかりが目についた。(社会部・市川真)

■管理の手段

「内申書が入試で生かされないと、中学の指導は難しくなる」内申書への絶対評価導入に伴って、入試方法をどう変えるかを検討してきた愛知県の入学者選抜方法協議会議(入選協)専門員会。専門員の一人がこう述べると、会議室は重苦しい空気に包まれた。「教師の言うことを聞かなければ内申書に響くという空気が、学校に充満しているのは確か」と名古屋市内のある中学教諭は言う。「提出物の字がきたない」と評価を一つ下げる教諭がいる。逆に、一学期の通知表に1がつき「この宿題をやるから2にしてよ」と教諭に持ち掛ける生徒もいる。テストの点数と同じように生徒の意欲や関心、態度をみる観点別評価が1991年度に導入され、顕著になったという。中学では、内申書が授業の重しとなっている現実がある。入試を前提に、生徒の全人格を評価する内申書が、生徒管理の手段に変わってしまった可能性を物語る。しかし、それを口にはしにくく、中学側の表向きの主張は「生きる力など新学習指導要領に沿った内申書を積極的に使ってほしい」だった。

■格差に不安

「絶対評価で大丈夫かと、みんな腹で思っている。九教科合計の評定が、平均で2ほど上がると言われているしね」。ある県立高校長は、絶対評価を入試の指標とすることへの不安を語る。一学期にどんな絶対評価がついたのか、愛知県教委が八月に県内の中学を抽出調杳したところ、各校の評定平均に2.97〜3.50と大きな格差があった。これは実力差なのか。中学ごとに評価の尺度が違うのか。驚いた高校側で、学力検査重視の方向性が定まった。文部科学省の「高校の特色化」政策が追い打ちをかける。少子化で生き残るためには、入試の特色を打ち出し生徒を集めるしかないと、高校側は考える。だがこれも、中学側からすれば表向きの主張にしか聞こえない。「特色は授業で出すべきだ。有名大学に何人送り込むかという競争の中、優秀な生徒を取りたいのが本音」と、別の中学教諭は高校側の意図を読む。

■進む特色化

中学と高校の意見対立は容易に解けず、結局、学力検査と内申書の比率を基本的に五対五とし、一部で六対四から四対六程度まで高校の裁量を認めることで決着した。「中学教育に配慮した」(県教委高等学校教育課)中高の折衷案といえるものだ。全国的には、高校の特色を打ち出す傾向が強まっている。栃木県は来春の入試から、学力検査と内申書の比率を九対一から一対九まで高校の裁量で変えられるようにした。九対一を選んだ二校は「内申書が全くだめでも、合格の可能性がある」。逆に、二校が四対六で内申書を重くみる。進学校で学力検査の比重が高く、就職者の多い学校で同等とする傾向が強いという。愛知県では04年度入試を前に、各高校がそれぞれ比率を公表するが、栃木県と同様に進学者の多い高校で学力検査重視になる可能性がある。

教育の原点に戻れ

元中学・高校教論で教育評論家の尾木直樹さん(55)の話 相対評価よりも、絶対評価は公平で格差も少ない。だが、高校入試に使うのは、中学の授業をしばるだけで誤りだ。絶対評価が信頼できないという高校の言い分も、いい生徒ばかり取りたい気持ちが見え見え。中学は学力を付けて送り出し、高校は独自の墓準で、意欲のある子全員を受け入れるという教育の原点に戻るべきだ。

以上、引用おわり。

入力するのがしんどかったです(笑い)。あ、そうだ。模擬試験も変わるそうだけど、その内情を知っている者として一言つけくわえると、"彼ら"も、自分たちの利益を守ることしか考えておりませんね。それが子供たちにとってマイナスになろうともね。いやはや、あきれたものです。


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