公立高校を訪ねて 撮影体験記その4.「頑張れ!農業高校」
今日は知多半島の高校を撮影することにした。知多半島といえば、海水浴か潮干狩りでしか来たことがないので、地図を入念にチェックして向かうことにした。
内海高校・武豊高校など南の方からまわることにした。「学校案内」によると、このあたりの学校はかつて分校であった学校が独立したケースが多いようだ。学校の沿革欄を見るとその経緯が載っている。昭和40〜50年代がほとんどだ。このシリーズの、公立高校を訪ねて(1)〜(2)でも指摘したように、生徒の減少や定員割れの心配が出てくる学校に相当する気がしてならない。
今回の撮影校の中で唯一の農業高校の半田農業があった。農業高校と学校の名前がある学校は愛知県内に、農林を含めても4校(渥美農業・安城農林・猿投農林)しかない。(但し、農業科はあるが農業学校とは呼ばない学校も数校あるにはある。)農業科を出たからといって農業を生業にするとは限らないが、農業は貴重な産業だと思う。昭和30年代後半以降の「高度経済成長」の中で置き去りにされた産業というイメージがあるが、一度放置された農地は水耕栽培的なものに変える以外、生産的な農業(商品として販売できる農作物をつくること)を営むことはできない。住宅地にするといっても「市街化調整区域」という枠がかけられているため、簡単に宅地化することはできない。
私が小・中学生の頃、「安城は日本のデンマーク」と習った記憶があるが、今の教科書でもそうなっているのだろうか?愛知県というと、どうも自動車産業などを中心にした製造業という印象が強いが、農業はさかんな地方だ。三河地方の「電照菊」、渥美半島の「青果」、西部輪中地帯の「れんこん」、祖父江の「銀杏」、イチゴ・メロンなどの果物や三ツ葉やプチトマトの水耕栽培など、多彩な農作物が栽培されていると聞く。バイオ技術の向上やガーデニングもブームだ。
農業といえば、天候との戦いとばかり思っていたら、昨今では外国からの輸入品とも競争しなければならない。先般、セーフガードが発令されたが、日本の国策上、「農業保護」にも限度が出て来るだろう。農業高校生諸君、21世紀の「明るい農村」の担い手は君たちだ。頑張れ!農業高校。
尾張在住T